石柳北原の歴史
明治13年 初代柳太郎が創業
石栁北原は明治13年(1880年)初代柳太郎が藤沢村(現在の高遠)から諏訪の地に移り北原石材店創業したのが始まりです。
当時、高遠は腕の良い石工が多く「高遠石工」と呼ばれ、寺院や多くの建造物に腕を振るっておりました。
初代柳太郎は、神宮寺石※1との出会いをきっかけに諏訪の地に移住し、寺院関係の彫刻や狛犬などを造りその出来栄えの良さで名が広まり、特に安曇野市三郷明盛「伍社宮神社」に据えてある狛犬(明治41年9月建立)は、江戸流※2で造られた渾身の作品で今でも神社を護っております。
当時、高遠は腕の良い石工が多く「高遠石工」と呼ばれ、寺院や多くの建造物に腕を振るっておりました。
初代柳太郎は、神宮寺石※1との出会いをきっかけに諏訪の地に移住し、寺院関係の彫刻や狛犬などを造りその出来栄えの良さで名が広まり、特に安曇野市三郷明盛「伍社宮神社」に据えてある狛犬(明治41年9月建立)は、江戸流※2で造られた渾身の作品で今でも神社を護っております。
※1 神宮寺から上社にかけて産出された石の通称
※2 岩組の上に狛犬が据えてある方式
多くの寺社の建立を手掛ける
2代目となる息子英一郎も、初代譲りの匠の技で狛犬や道祖神などの彫刻に力を入れ、諏訪郡下の神社などに多く建立を手がけました。
時は流れ、三代 英男の代になるとしだいに墓石の建立が主流になり、彫刻の美しさや丁寧な仕事で話題になり、さらに諏訪の寒さなど厳しい天候にも耐えうる良い仕事にこだわりました。
時は流れ、三代 英男の代になるとしだいに墓石の建立が主流になり、彫刻の美しさや丁寧な仕事で話題になり、さらに諏訪の寒さなど厳しい天候にも耐えうる良い仕事にこだわりました。
その傍ら、個人住宅の石工などを施工すると共に、学校や保育園の校歌碑や圃場整備記念碑なども手掛けるようなりました。
後進の育成にも力を注ぎ、石材施工技能士一級の資格を取得し指導し多くの弟子を育成いたしました。
伝統を継承し新たな歴史を刻む
その想いは4代目一男に受け継がれ、平成16年にはお墓ディレクター検定2級を取得、よりよい耐寒性や耐震性の優れた基礎工事の技法を開発したり、多彩なデザインや石材を多くのお客様に見て触れて選んでいただけるように墓石展示販売会などを開催するようにもなりました。
また、平成2年12月、社名を『有限会社 石柳北原』に変更いたしました。
また、平成2年12月、社名を『有限会社 石柳北原』に変更いたしました。
平成4年、現在代表取締役社長 大貴が継承。
引き続き墓石を主流とするなか、母校の100周年記念碑などを制作する傍ら、玄関飾りの彫刻やモニュメント、ペット碑なども手掛けるようになりました。
平成18年、お墓ディレクター検定2級も取得し、平成20年には石材施工技能士一級も取得、受け継がれた確かな技と繊細なセンスと感性は一級石材加工で第一位の表彰も受けるほど。
平成28年4月、初代が力を入れていた彫刻にも改めて注力していくために、初代の名前『栁太郎』を襲名し、社名表記も『有限会社 石栁北原』に変更いたしました。